新型コロナウイルスの感染拡大により非常事態宣言が発令されたこともあり、各地の花火大会が相次いで中止となっております。
そんな中、全国で一斉に花火を打ち上げる計画が進めれられております。
花火玉の製造は梅雨入り前が全盛期ですが、6月の静岡市の「安部川花火大会」、7月の東京名物「隅田川花火大会」など大規模な大会が中止となり、花火玉の在庫が飽和状態となって製造が止まり、技術の継承に影響しかねないとの事です。
計画されている花火大会は、「集客なし」「5分以内」
無事開催されることを願います。
大会「Cheer up!花火プロジェクト」HP
花火大会の起源
始まりは「両国の川開き」だと言われ、川開きとは納涼祭のことで、「両国の川開き」は、大飢饉、疫病の流行をきっかけに行われた水神祭が起源だと言われております。
江戸時代初期まで、幕府の政策(主要河川の架橋禁止. 軍事的要因と技術的要因)により橋をかけることが禁止されており、渡し船しかなく、渡渉・渡船については、場所の指定があり勝手に渡ることは許されておりませんでした。
そんななか、1657年3月2日に「明暦の大火」が起こり、「明暦の大火」は江戸市中の半分を燃やし尽くす大火事となりました。
橋がなかったため火災から逃げる事が出来ず、犠牲者は数万人にのぼったことから、墨田川に橋をかける事業が起こされ、両国橋が作られます。
橋の上は風が通り、川からの冷気で涼が楽しめました。両国は、涼を求める江戸市民に人気のスポットとなりました。
そんな人気スポットに花火が打ち上がりました。
きっかけは「享保の大飢饉」で、大飢饉の影響で物価が上がり、疫病(コレラ)の流行もあり、江戸市民の生活は悲惨な状態に陥りました。
そこで、慰霊と疫病退散を祈願する目的から、8代将軍・徳川吉宗が両国で水神祭を行い、花火を打ち上げました。
当初は20発程度の小規模なものだったそうですが、これが花火大会の起源といわれています。
これ以降、両国では花火を伴う納涼祭として「両国の川開き」が行われるようになり、花火大会は夏の風物詩となっていきました。